HARMONISM

「兄弟の花」

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「兄弟の花」

僕がギターで絵を描くパフォーマンスをしたら、彼はギターをやるようになった。ギターがある程度弾ける様になったら、今度は絵を描き始めた。
どちらかというと絵の方が性にあった様で、ギターのライブでは声も手も震えていたとか。極度のアガリ症である。

頭頂部の8割方は髪が無く、白髪の天然パーマがシャンプーハットの様に生えていた。どっしりとしたアゴと丸い頭の鼻。体は太り気味だが若い頃には野球、空手、少林寺拳法、仕事は建築現場で力仕事もあったせいか脂肪の中に分厚い筋肉があり、レスラーのような体型である。

絵には生真面目な性格がそのまま表れていた。仕事でずっと製図をやっていたのも恐らく影響があった様に思える緻密な絵だった。その為抽象的な捉え方が必要な風景画よりも街並みの絵(特にデティールが細かい近代建築など)を得意としていた。

「これ、どや??」
たまに会うと完成した絵を恐る恐る、そして誇らしな笑顔で僕に見せてきた。
「ええやん。特にこの辺とこの辺がなんかええ感じやな。」
特に誇張して褒める事も何かを指摘する事もない僕の感想に対して、次回からレベルアップしたい箇所を彼はいつも話してきた。

その日はオレンジ色の3本の花の絵を描いている最中だった。

「うーん、どうしたらええんかのう。」
何か描き方に行き詰まっている様だった。僕は特別絵が上手いわけでは無いからいつもなら大体こうすれば良いんじゃ無い?という抽象的なアドバイスをするぐらいで彼の描くものに自分の要素を色濃く出さない様に意識している。何故だかわからないけどそうした方が良いと考えていた。

でも、その日はいつもと違って具体的にどう仕上げたいのか。どうしたらそれが描けるか。そのゴールに向けて現在足りない所を具体的に指摘していった。

それは絵画教室に通って得た描き方とは恐らく違ったのだと思う。それまでに書き込んだ花が台無しになるかもしれない。そんな気持ちもあったと思う。恐る恐る筆を運びながら僕が指摘した箇所を書き加えて行った。
「こうかのう。」

30〜40分だったと思う。僕がアドバイスしては筆を加え、アドバイスしては筆を加えどうにか納得の行く姿に仕上がった様だ。

「おお〜何か良うなったのう。。!」
「へぇ〜奥行き出たね。」母もいつもと違う仕上がりになった作品を見て微笑んでいた。(母は仕上がる毎に作品の批評をさせられていた様である)

僕も不思議な達成感を感じていた。

趣味はテレビとゴルフ。でもゴルフはいつからかやらなくなった。そんな中、恐らくギターで絵を描く不思議なパフォーマンスをしていた息子に刺激を受けてギターや絵を始めたのだろう。と今となれば思う。

親孝行した記憶は残念ながらこれといって無いが、仕事を引退した余生に新しい趣味を持ち込むキッカケになれたのは親孝行と言える様な気がする。

父は僕と違って、とてつもなく社交性に優れていて誰でとでもすぐに仲良くなっていた。ギターサークルや絵画教室のメンバーの方々も父の事をとても慕っていた。もちろん孫達も「じーじ」とよくケンカをしていた。
ケンカをするほど中が良い。と言う言葉そのままに、父は誰とでも笑いながらケンカをしていた。

なんとなく「これが最後な気がする」僕は頭の深い底の方でそう思っていた気がする。

その3ヶ月ほど前にも父をカッコ良く撮影し、小さい頃から今に至るまでの話をインタビューして記録に収めていた。
芸術の賞レースにも意識的に参加し、なるべく活躍を具体的にしていた。つまり予測していたのだ。
父は難病指定されている肺の病気にかかっていて、その頃は酸素ボンベが常に必要だった。

僕の予想は残念ながら的中してしまい、父はその1週間後に息を引き取った。最後の姿は僕は見ていないが、1週間前からそうなる気がしていた。

小さい時から僕は大人しかった。勉強もスポーツも全て中の中。ただ大人しかった。(ただし何故か喧嘩は強い方だった)
「強くなった息子」を父と、参列する全ての人に見せるための自分ルールとして父の死顔を見る時も通夜も葬式も。決して泣かない事に決めた

高校卒業して、なんとなく建築の専門学校に入った時も。なんとなく建築工務店に入った時も。それを止めて直感でデザインの道に入った時も。わけのわからんアートを始めた時も。

心配する母をよそに、父はいつも何も言わず「え〜やん。がんばれよ〜」とわずかに後押しをするだけだった。

今、僕は建築、デザイン、アート、他にも手をつけた全ての事を何一つ捨てずにそれを仕事に、自分の表現に取り入れている。

今となれば、あの、いつもの「え〜やん」が今の自分を形作る種になっているのでは無いかと僕は思う。

そこにいる人達を泣かせようとする葬式場の演出やBGM。我慢しようとも涙が溢れ出る姉2人、親族、父の友人。母は泣いていなかった。恐らく僕と同じで父の死を予測、あるいは覚悟していたのだろう。

かなり年季の入った樹齢400年の大木の様なオーラをまとった、その日のお坊さんのお経は美しいとまで思える抑揚と舞踏の様な動きが連動していて一つの舞台の様だった。

出棺の挨拶。僕が読む事になっている。

予め定型の文章は暗記していたが、決まり切った言葉では無く自分の言葉で言うべき。と感じていた。

父は誰とでも仲良くなるフレンドリーな人間である事。僕はそれを見習うべきである事。最後の言葉。自分ルールは全うした。

「父は生前、辛気臭い事が苦手で楽しい事が大好きな人でした。だから、皆さん最後は笑顔で送ってあげてください!」

父の体が骨と銀歯だけになり、独特のむせ返る様な香りに包まれる中、父の兄である大ちゃんおっちゃんは骨あげ用の菜箸の用に長い箸を両手に一本ずつもち、骨が並んでいるテーブルをドラマーの様にカンカンしながら「お〜はよ入れるど〜!」と陽気に打ち鳴らしていた。

僕は心の中で「おっちゃんそこまでやるか〜ははは」と笑いながら長い箸でまだ熱い熱を帯びた骨を集めた。

2015年4月25日の事。

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